異文化恋愛短編集「あいしかたがわからない」収録の
・異星の人
・満月
それぞれの冒頭試し読みです。
●WEBカタログ
https://plag.me/p/textrevo_ex2/9898
恋愛ものなのでそこそこの性描写がありますが、
かなうならば若い子にこそ読んでほしいという信念のもと、全年齢で通します。
ものすごくライトな表現ですが、苦手な方はこちらで引き返してくださいね。
異星の人
「ちょっ、くすぐったい、やめて」
なんとか逃げ出そうと身をよじる、その弾むような身体をしっかりと抱え込んで、アーサーはさらに念入りに奥を探った。それでも恋人から発せられるのは健やかな笑い声ばかり、上掛けの下では一糸まとわぬ姿なのに、ふたりの間には色気よりもあたたかな親密さが通う。
「気持ちよくないのですか?僕が調べたところ、こうすると八割以上の女性が腰砕けになると」
「な、なにそれ腰砕けって、あはは、私はのこりの二割のほうなんじゃな、や、やはははは」
「いやでも、これはこれで魅力的」
「何言って、あ、あはははは、あーーーっ」
声の合間に喘鳴がまじる。少しやりすぎたようだ。アーサーが攻勢をゆるめると、恋人の新は荒く息をつきながらぐったりと胸に凭れかかった。
「はー」
「なかなかうまくいかないものですね」
「ごめんね、なんか笑っちゃって」
「いえ」
他の方法も試してみましょう、と微笑みながら次の作戦を練っていると、不意に新がきゅううと丸まって、つむじしか見えなくなってしまった。
「くすぐったいのもあるけど、半分は、照れもあって。でもちゃんと、えと」
さらに丸まったので、アーサーのみぞおちのあたりにあたたかな息がかかる。
「……きもちよかった」
普段の快活な彼女からは想像できないような、ちいさなちいさな声。
アーサーはひょいと眉を持ち上げたのち勢いよく上掛けのなかに潜り、薄暗いぬくもりのなかで恋人の目を捉えた。
「なら、もう少しこのまま、試してみましょうか。いっそ同時に……」
「いや、ちょっと待って、うそ」
図らずもアーサーの探究心に火を点けてしまったらしい。
慌てた新のばたつく手足ごところりとひっくり返し、アーサーは今度こそ動きを封じた。額に垂れた金糸の髪、その向こうの表情の小難しいこと。とても情事の最中とは思えない。でもそんなところが彼らしく、愛しくて頬が緩む。
じかに触れ合う素肌があたたかくて心地いい。新はとうとう抵抗を解いた。温んだ身体が心を溶かし、今度こそ吐息となって漏れ出した。
「おまたせしました、おまかせ六点、塩ですねー」
「ありがとうね」
「すいませーん」
「はあい!」
賑わいに満ちた金曜日の夜。コの字型のカウンター内でくるくる働きながら、綿貫新はある客に気をとられていた。
最近よく見る外国人男性である。年の頃は三十代なかばくらいだろうか、仕立てのよさそうなシャツ、白皙に淡い金色の髪をすっきりとなでつけて、襟元も緩めずにシャンとカウンター席におさまっている。店構えも客層も年季の入ったこの店で、ひとり酒杯を傾けている。掃き溜めに鶴。目立たないわけがない。
しかし、新が気になっている理由はそれだけではなかった。
この男、日本語は不自然なほど流暢なのに、銀杏を食べるのがおそろしく下手なのである。
串ものは火を通すのに時間がかかるが、銀杏は煎るだけだから比較的すぐ出せる。どうやら、鳥を焼いているあいだずっと殻と格闘していたようなのだ。
(あったかくてほくほくのうちが美味しいのに)
(ピスタチオとか食べ慣れてそうな顔してるのに)
(ああ、このままだと焼き鳥まで冷めてしまう)
はじめは微笑ましく見守っていたが、ええいヘタクソ、とだんだんイライラしてきた。耐えきれなくて、つい手が伸びる。
「お客さん、いっこいいですか」
ぱっと顔を上げたその人は無防備な顔をしても綺麗で、すこし怯んだがイライラが勝った。殻のついたのをひとつ摘んで、パキッ、ペリッ、と剥いてみせる。
「こう!」
「いまの、いまのもう一回やってください」
すごい食いつきである。いやいやわかるでしょ、と心のなかで舌打ちしながらもう一度やってみせると、きゅっと口をすぼめた彼は準備体操するように二三度指を曲げ伸ばしして、殻をはさむ指に力をこめた。
新はうっと顔をしかめる。
「あー、つぶれちゃったな」
「惜しい!」
ずっと気になっていたのだろう、並びに座ったおっちゃんたちの野次が飛ぶ。向かいの客も腰を浮かせて、やがてようやくきれいに剥けた銀杏にぱらぱらと拍手が起こった。本人も手元のちいさな一粒をしげしげと見つめている。
しかし新は気が気ではなかった。美味いものは美味いうちに。それが新のモットーである。
「お客さん、早く食べたほうがいいですよ」
「ああ、ほんとうだ。ありがとう」
これが二人のファーストコンタクトだった。
満月
何気ない一言が、相手に強い印象を残すことがある。
「きみって、実は一匹狼タイプだよね」
「そうですか?」
「そうだよ、みんなと一緒にいても、いっつもひとりみたいな顔して」
「……そんなこと、初めて言われました」
大学の所属研究室の飲みの席でのことだ。
久保炯介はふたつ下の後輩で、表向きはノリのいい、いまどきの男の子である。表向きは、というのは衿子がそれを疑っているからで、研究テーマが近く行動を共にすることが多いわりにいまだに上手く会話できないことへの意趣返し、といった側面もなくはないが、へらりとした笑顔がどうも胡散臭く思えるのだった。
立ち回りはうまいし研究の進め方もそつがない、それは見方を変えれば隙がないということで、要領が悪くなかなか先輩面させてもらえない衿子の視点からは、炯介は周囲と注意深く距離をとっているように見えた。今だって、貸し切った座敷の、一番盛り上がっているあたりを眺めるように壁際に寄りかかっているから、衿子が相手をする羽目になったのだ。
だからただ、席が近いついでに嫌味のひとつでも言ってやりたかっただけなのだが。
妙に無防備な反応に、なんだか悪いことをした気分になった。
「気に障ったなら悪かったよ」
「別にいいっすよ」
そこは「いいっすよ」じゃないだろうが、と突っ込みたくなるのを衿子はビールで押し流した。他の人にはもう少し可愛げのある態度をとるくせに、なぜ自分にはつねに塩対応なのか。馬鹿らしくなって、腹立ち紛れに目の前にあるカルパッチョの皿を総ざらいして、残っていた揚げ物も自分の皿にひとまとめにしてやった。ついでにあちこちで中途半端に残っている瓶ビールをかき集めてきて、自分のグラスに注いでは飲み干していると、不意に隣で思わずという感じの笑い声が上がる。
「なに」
「いや、めっちゃ食うし飲むなって」
「うるさいよ」
「俺も飲もうっと」
どういう心境の変化か、衿子が築き上げたビール瓶の要塞に手を伸ばし、「マジ、ほとんどないんだけど」と呆然とする様子はずいぶん打ち解けて、いつものガードが緩んでいるように見えた。
「ほれ、これはまだ入ってる」
「おっ、あざっす」
すかさずグラスを差し出す炯介に、衿子は瓶だけ押し付けた。
「自分でやって」
「えー」
「えー、じゃないよ。調子乗んなよ」
今後は一切甘やかしてやるもんかと衿子は固く心に誓った。見返りのない気遣いは消耗するばかりだ。人としても学生としても大して優秀でない自分に、余計なリソースを割く余裕はないのである。
ところがそれ以来、炯介はなにかと衿子に懐くようになったので、衿子はますます彼がわからなくなった。
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